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おやすみ あの頃 あの場所 あの歌 04

「四宮ー」
 多くの学生が行き交う大学の構内で、誰かが四宮の名を呼ぶ。四宮も足を止めて声の主が追いつくのを待ち、追いついた彼と二人で並んで歩いた。
 声の主は四宮よりもわずかに背が高い。四宮と話しながら、時折くせのある髪をかきあげる。
 鴻鳥サクラ
 同じ大学に通うアルファだ。鴻鳥は自分がアルファだと公言しているわけではないので、オメガである四宮以外には、鴻鳥がアルファである事に気付いている者はおそらくいないだろう。



 会ったのは入学して最初の講義。
「ここ、空いてる?」
 始まる直前、すでに席を取っていた四宮に誰かが声をかけた。
 声の方に視線を向けると、穏やかな顔が四宮に問いかけている。オメガとしての嗅覚が、相手が何者であるかを四宮に告げた。
(…アルファ、かよ…)
 断る理由もない。四宮がどうぞ、と短く答えると、相手は礼を言ってから隣に座った。
 オメガであることを自覚して以来、こんな至近距離でアルファと近づいた事がなかったので、緊張で身体がこわばる。まだ発情期が始まる時期ではないので、オメガフェロモンは出ていないはずだ。

 それでももし、自分の気付かないあいだに発情期が始まっていたら?
 もしも、自分が不注意で何かを見落としていたら?
 もしも、隣に座る男がアルファとして、自分が発するごく微量のオメガフェロモンを嗅ぎ取ったら?
 もしも…。

「…具合…悪いのか?」
 講義が始まってしばらくして、隣の男が周囲に聞こえない小さな声で四宮に言った。緊張のあまり四宮の顔色がよほど悪くなっていたらしい。
「…大丈夫…だから…」
 四宮は平静を装って答えた。この様子だと相手は自分がオメガだと気付いていない。そう思うと、少しずつ落ち着きを取り戻せた。
 意識を講義に集中させようとしたが、しばらくして隣の男の指がノートの端でかすかにリズムを刻んでいるのに気付いた。不思議に思った四宮が見ていたら、相手も四宮が見ているのに気付いた。
「ごめん。目障りだよな」
 照れくさそうに笑いながら、四宮にだけ聞こえるような小さな声で男が言う。 「…いや、こっちが勝手に気にしただけだから」
 四宮も同じように小さな声で答えた。

 講義終了後。
「…あの、さ」
 意を決して、四宮は相手に話しかける。
「学食で一緒に飯でも食わないか…?」

 同じ新入生同士、決してこの誘いは不自然なものではないはずだ。  なぜ自分は、会ったばかりのこの男と一緒にいたいと思ったのだろう? と四宮は自問した。
 新入生同士、親しくなりたかったから。ふと柔らかく笑う顔に、自分も同じように笑いたくなるから。さまざまな理由を考えて、自分自身を納得させようとした……決してオメガとして、アルファである相手に惹かれているのではないと思いたかった。
 相手は自分はオメガだと気付いただろうか。四宮は気付いていない可能性に賭けた。
「…そうだな」
 相手も嬉しそうに四宮の提案に応じた。



 鴻鳥サクラ、と相手は名乗った。
「『コウノトリ サクラ』? 本名か?」
 聞き慣れない名字と名前に、四宮が驚く。
 それぞれの注文した食事を手にして一緒のテーブルに着き、お互い自己紹介をした。相手が名乗った聞き慣れない名字と名前に、四宮は驚いた。
「本名だってば。芸名とかで大学には入学できないよー」
 学生証見せようか? と鴻鳥は面白そうに笑う。
「コウノトリ、って長くて言いづらくないか? 医者になって鴻鳥先生って呼ばれるようになったら、緊急時とか舌を噛みそうだな」
「でもさ、鴻鳥、って産科医にはぴったりの名字じゃないか?」
「…産科希望、なのか?」
…四宮の父親と、同じだ。
「そのために医学部(ここ)に入ったんだし。四宮は? これから決めるのか?」 「…まあ、な」
 自分は父親と同じ道には進まないつもりだが。
「そっかぁ…お互い希望の科に行けるといいな」
 その時以来、四宮は鴻鳥と一緒に行動する事が多くなった。
 鴻鳥とは普通の友人の関係でいたかった。自分がオメガで、鴻鳥がアルファという事を忘れたかった。そのための抑制剤は決して忘れる事なく飲んでいたが。



 四宮と並んで歩く鴻鳥は、次の講義が大変な事など学生らしい話題のあとに、ふと思い出したように別の話題につなげた。
「そういえば○○がさ、飲み会に四宮が来ないの残念がってたって。避けられてる? って気にしていたらしいよ」
 鴻鳥が話題にした○○も、公言していないものの鴻鳥と同じアルファだ。
 友人も多く、周囲からの信頼も厚い人物だ。四宮も彼を信頼しているし、好感のもてる人物だろう……自分が、オメガなければ。
 ○○が人として信頼できても、自分がオメガで、相手がアルファである限り、万が一の可能性…自分が発情期が始まっているのに気付かず、相手が対策薬を使わなかったら? という最悪の予想が頭をよぎる。考えすぎだと思っても、その考えが頭から離れることはなかった。
 鴻鳥に対してもその最悪の予想はあるものの、彼に対しては警戒心がすこしだけ薄れる。鴻鳥が対策薬をいつでも身につけているのを見ているからかもしれない。

 以前さりげなさを装って、鴻鳥の首筋から見える細い鎖を
「…それ、オメガフェロモン対策薬ケースか?」
と聞いた事がある。鴻鳥には
「単なるアクセサリーだよ。でもさ、それっぽく見えないか? アルファっぽくてカッコよくない?」
 と笑ってごまかされたが、オメガの四宮はそのケースが父親の晃志郎がいつも身につけていた本物のオメガフェロモン対策薬のケースと同じ物であるのを知っていた。

 避けられているらしいのを不思議に思いながらも、○○はそれ以上は四宮に接触してこなかった。申し訳ないと思いつつも、深入りしてこない彼の態度が四宮にはありがたかった。
「…スケジュールが合わないだけだ…別に○○の事を嫌っているとか、そーいうのは無いから」
 四宮の言葉を聞いた鴻鳥は、何故か嬉しそうな顔をした。


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2018.8.1 UP。

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