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桜の花の下で

 穏やかな日差しのなか、風に吹かれて薄紅の花びらが舞い落ちる。
「よく咲いているなー」
 忙しい研修医にとって久しぶりの休日、買い物帰りに公園の桜を二人で見上げた。
 普段から朗らかに笑う鴻鳥だが、満開の桜を見上げる彼はいつも以上に嬉しそうに笑っている。四宮の記憶にある限りでは、桜の季節のたびに鴻鳥は自分と同じ名前の花をにこやかに見上げていた。
「この時期あちこちで名前を呼ばれてうるさいと思わないか? サクラ?」
「僕を名前で呼ぶ人はそう多くないし、それ以外は僕を呼んでいるわけじゃないって知っているから」
 『そう多くない人』に自分も入っていると自惚れてもいいだろうか、と四宮は思う。
「…この季節、嫌にならないか?」
「どうして? 僕は好きだよ」
「…俺は、あまり好きじゃない」
「何故?」
 満開の桜を見上げていた鴻鳥が、四宮に視線を向ける。
「…別れの歌が多すぎる」
 散り行く花に寄せて、誰かとの別れを歌う。卒業などで誰かを見送ったりする事が多い季節だから仕方がないことかもしれないが。
 …研修医の自分たちは、あとどれくらいこうして一緒にいられるのだろう?
「それは時期的に仕方がないだろう?」
「何がだよ」
「いろいろ環境も変わるし」
 この男は、自分と離れていく時もこうやって「仕方がない」と穏やかに笑うのだろうか。それは諦観…というものなのだろうか。
「…俺は…嫌だな。なんとなく、だが」
 四宮の言葉を聞いて、鴻鳥がふわりと笑う。
「四宮がそう言ってくれて、僕は嬉しい」



 街灯に照らされて、桜の花が暗闇から浮かび上がる。
 あの日と同じように、四宮は鴻鳥と二人で満開の桜を見上げていた。
 あれからいくつもの桜の季節が巡った。いまや二人は研修医ではなく、それなりの経験を積んだ産科医だ。
「…まだこの季節は嫌いか?」
 春の夜風に吹かれながら、鴻鳥が四宮に問う。
「…まだ覚えていたのかよ…」
 苦々しげに四宮は言うが、それは照れくささからだろう。
「なぁ四宮、僕たちはまだ一緒にいるよ」
 そうだな、と四宮は返す。
 研修医の時は、友人が多いのに誰にも執着しない鴻鳥が四宮にはもどかしかった。自分の事はあまり語らない鴻鳥だったが、それでも長いつきあいのなかで四宮は鴻鳥の過去を少しずつ知っていった。
 産まれてすぐに母親が病気で亡くなった事。
 乳児院で里親として自分を引き取る誰かを待ち…結局誰にも引き取られずに養護施設で成長した事。
 いままで鴻鳥は、自分のもとから去る人をどれだけ見送ってきたのだろう。
 それでも、自分は。
「サクラ」
「うん?」
「…俺は、お前から離れるつもりはない」
 …それが、自分のエゴであっても構わない。
 不意に鴻鳥が四宮を抱きしめ、四宮の耳元で囁く。

 ー僕はもう、お前を逃がすつもりはないから。
 ー覚悟するんだな、ハルキ。

 穏やかな鴻鳥とは思えない言葉に、四宮は鴻鳥に囁かれた耳を思わず押さえた。
 動揺する四宮を見て鴻鳥は抱きしめていた腕をほどき、笑いながら四宮から身を離した。
「ちょっと遅いエイプリルフールだよー」
 桜の花が散るなか、普段と変わらぬ穏やかな顔で笑う鴻鳥。先程の言葉を、冗談に紛らわすつもりなのか。
「明日も早いから早く家に帰らないか、四宮?」
 背を向けて家路につこうとする鴻鳥の背に、四宮がつぶやいた。
「…覚悟なんか…とっくにできている…」

 …知ってたよ、四宮。

 桜の花を散らす風が吹いたが、それでも四宮の耳には鴻鳥の声が確かに届いた。



2016.4.4 UP。

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おしらせ

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  • 更新に関しては更新履歴参照。

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