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今宵、異装の

「あ、お帰りー、四宮」
 ピアノが置かれた防音室の扉を開けると、いつもと同じようににこやかに鴻鳥が四宮を迎える。ただし、その格好はというと…。
「…サクラ、それは何のコスプレだ…?」
「えへへ、似合う?」
 扉を開けたまま固まる四宮の前で、鴻鳥が身体をくるりと回した。片方の肩より垂らされ、腰まで届くマントが鴻鳥の動きにあわせてふわりと翻る。
 落ち着いたダークグレーでまとまった、襟の高い服。服装について四宮は詳しくないが、さしずめ勲章がついていない軍服といったところか。服そのものには余計な装飾はないものの、片方の肩より垂らされ腰まで届くマントのせいで、日常で着る衣服ではなく役者が舞台の上で着る衣装のように見える。それでも長身の鴻鳥が身に纏うと、モデルみたいに様(さま)になる…と、四宮は思う。
 鴻鳥の説明によれば今度のライブのテーマがハロウィンなので、いつもとは違う衣装にしようとマネージャーの滝と決めたのだと言う。
「…その格好でライブ会場まで行くのか?」
「まっさかー」
 笑いながら鴻鳥が否定する。
「もちろんライブ会場の控え室で着替えるよ。この格好で街を歩くのはちょっと恥ずかしいからさ」
「…その格好で人前でピアノを弾くのについてはどうなんだ…?」
「ピアノを弾くのに邪魔にならないよ」
 ピアニストにとってステージ上における問題とは、ピアノを演奏するのに邪魔になるかならないか、ただそれだけらしい。
「…ま、まぁ、お前の音楽活動に俺はとやかく言うつもりはないから…」
「なぁ四宮。この服、どう思う?」
 鴻鳥が四宮をじっと見据えながら問う。鴻鳥といえども普段のベイビーと違う衣装はやはり不安になるのか。
「…うん…ちゃんとサクラに似合っているし…それに…すっごい格好いいから心配するな」
 ベイビーのメイクこそしていないが、長身で顔立ちがはっきりとしている鴻鳥が舞台衣装のような服を着ると華やかな雰囲気になる。それはお世辞ではなく四宮の本心だ。しかし、鴻鳥の心配は別のところにあったらしい。
「四宮が気に入ってくれて良かったー! ちゃんと四宮の分も用意してあるから!」
「……へ?」
 思ってもみなかった鴻鳥の言葉に、四宮は再び固まった。そんな四宮にお構いなしに、鴻鳥は嬉しそうに言葉を続ける。
「最初にこの衣装を見た時にさ、絶対これ四宮に似合う! って思って同じ物を揃えたんだー! サイズは僕らほぼ同じだから問題ないし!」
「…何故そうなる…?」
 体格はほぼ同じとはいえ、顔立ちが派手めな鴻鳥ならともかく、自分が鴻鳥と同じ衣装を着たら……?
 想定を越える内容に、四宮の思考は停止した。
「絶っっ対に嫌だからな! ステージに立つのも仕事なお前ならともかく、俺はそんな衣装を着るのは御免だからな!」
「……四宮……」
 困り果てた鴻鳥の顔。彼の性格を思えば、嫌がる四宮に無理強いする事はないだろう。それが四宮にはかえって心苦しい。
「…俺、もう寝るから!」
 居たたまれなくなって、四宮は防音室を後にした。



 入浴を済ませ、四宮がベッドに入っても、かすかなピアノの音は続く。ライブが近いので練習に身が入るのか、それともまだしばらく四宮と顔を合わせたくないのか。
 ステージの上で演奏する鴻鳥にとって、あれくらいの衣装を着るのは些細な事なのだろうし、実際彼にとても似合っていると思う。しかし四宮にとって、日常から外れた衣装を身に纏うのを躊躇(ためら)う気持ちが、どうしてもある。
(…たかが衣装…というか…たかが服、なんだがな…)
 しばらくベッドの中で寝返りを打っていたが、それでも鴻鳥が弾くピアノの音を子守歌代わりにして、四宮は眠りについた。



 アラーム音に四宮が目を覚ますと、すぐ隣に鴻鳥の寝顔があった。鴻鳥がベッドに入ってきた時の記憶が、四宮にはない。きっとまた遅くまで練習していたのだろう。昨夜のちょっとした諍いを思うと、いつもと同じように自分の隣に鴻鳥が眠っている事に四宮は安堵した。
 アラーム音を切り、その手で鴻鳥のやや長めの髪をかきあげると、閉じていた鴻鳥の目がうっすらと開いた。
「……おはよ……ハルキ」
 寝起きのやわらかな表情と声。産科医・鴻鳥サクラでもジャズピアニスト・ベイビーでもない、まだ覚醒しきっていない、四宮だけが知る鴻鳥サクラの顔。
「……悪い…起こした……」
「……んー…でも、もう起きる時間だよね?」
「……もうすこし寝てろ。昨日も遅くまで練習していたんだろ? 朝飯の支度ができたら起こすから」
「……ふふ。ありがたいけど、もうちょっとこうしていたいなぁ……」
 言いながら鴻鳥は四宮を抱き寄せる。抱きしめられた鴻鳥の腕を感じて心地よく思うのは四宮も同じだが、いつまでも二人でベッドにいるわけにもいかない。
「…遅刻…するだろうが…」
 名残惜しむ気持ちを押し殺し、鴻鳥の腕をほどいて四宮は起き上がった。



 ライブ当日。
 その日は緊急搬送もなく、容態が急変した妊婦もいなかったので、当直あけの鴻鳥は申し送りの後にライブ会場に向かった。
 四宮は鴻鳥に声をかけたかったが、事務上の手続きに必要な書類を揃えるなどの用事が立て込み、鴻鳥を見送れなかった。
 その日の当直は赤西で、オンコールは四宮。何事もなければ鴻鳥を呼び出す事はないだろう。
 気になっていたお産もなんとか無事に終わり、後は当直の赤西にまかせて四宮は病院を後にした。



 鴻鳥のマンション。渡されている鍵で四宮は扉を開けた。

(…サクラの…ベイビーのライブは盛り上がっているだろうか…?)

 ベイビーのライブは、ベイビーが途中で演奏を中止にしない限り盛況だ。しかも今夜はハロウィンという事で選曲し、ベイビーもいつもとは違う衣装でステージにあがっている。観客だけでなく、ベイビー本人…鴻鳥もライブを楽しんでいるだろう。
 ライブの盛況に思いを馳せながら四宮は一人簡単な食事を済ませ、シャワーを浴びた。
 パジャマには着替えず、眼鏡もかけずに下着だけを身につけた格好でクローゼットのある部屋へと向かった。迷いを振り切るためにアルコールを口にしたいが、オンコールなのでそれも出来ない。しばらくためらった後に、四宮はクローゼットの扉を開けた。

 クローゼットの中には見慣れない箱。開けてみるとあの夜に鴻鳥が身に纏っていたのと同じ服が入っていた。鴻鳥が用意した、四宮の服。
 覚悟を決めて四宮は服に袖を通した。
 服を着るのに苦労はなかったが、肩から下げるマントの部分を身につけるのに苦労した。両肩を覆う形で、片方の肩からマントを垂らすのだが、首の部分を編み上げ靴のように紐で結ぶので、少々着づらい。それでもなんとかあの夜の鴻鳥と同じ服装になった。
 サイズは丁度よく、想像していたよりも動きやすい。鴻鳥がピアノを弾くのに問題はないと言っていただけはある。
 あの時の鴻鳥は様(さま)になっていたが、今の自分は……?
 四宮には今の自分を鏡で見る勇気はない。今の自分についてなるべく考えないようにした。
「……四宮?」
 鴻鳥の声。ライブを終えて帰ってきたのだろう。眼鏡をかけていないぼやけた視界でも、鴻鳥の驚いた顔はよくわかる。いつもと違う服を身に纏った四宮を見て、あの夜の自分と同じように鴻鳥も固まっている。もっとも鴻鳥の場合、固まっているのはおそらく別の意味でだろうが。
「……せっかくお前が用意してくれたんだから…着ないと勿体ないだろう?」
「ええと…ハルキ、すっごく格好いい…」
 鴻鳥なら当然そう言うだろうが、鴻鳥の誉め言葉が四宮には照れくさい。
「……お前ほどじゃないと思うがな…」
 わざとぶきらぼうに言ってみたが、それでも顔が火照るのは隠しようがない。
「…なんかさ、僕の恋人はこんなに格好いいんだ! …て、みんなに見せびらかしたい…」
 …とんでもない事をあっさりと口にする。四宮の照れくさい気持ちも一気に吹き飛んだ。
「はぁ?! 絶対そんな馬鹿な事につき合わないからな!」
「うん、わかってる。これ以上無理はさせないから」
「…自分で自分の格好を見るのも恥ずかしいんだからな…」
「そーいえば四宮、眼鏡かけてないね」
「…こんな格好、自分で直視できるかよ…」
 ステージ上で同じ格好をした鴻鳥に対して言う言葉ではないと思うが、四宮にとってそれが正直な気持ちだった。
「じゃ、その格好の四宮は、僕だけしか知らないんだ」
 ちょっと待って、と言って、鴻鳥は部屋を出ていった。しばらくして戻ってきた彼の手には鮮やかな色の口紅。ベイビーのメイクに使うものだろう。
「じっとしてて」
 四宮の前に立った鴻鳥は四宮の顔に手を添え、口紅を丁寧に塗っていく。
 四宮も乾燥した気候の時にはリップクリームくらいつけるが、鴻鳥の手で化粧の意味として口紅を塗られると、触れるその手に性的な意味合いがあるように思えてしまう。
 鴻鳥から目を逸らす事も出来ず、四宮は目を閉じた。
「…四宮…そうしているとさ…キスをねだっているみたい…」
 鴻鳥がくすくすと笑う。
 …実際そうなのだろうと、自分でも思う。
 口紅を塗る手の動きが止まり、鴻鳥は四宮を抱き寄せて耳元で囁いた。
「…四宮…なんかさ…すっごく…エロい…」
 その言葉で彼に抱かれた時の事を思い出し、四宮の身体の奥深くが熱を帯びる。
「…前言撤回。こんなに色っぽい四宮を他人に見せるなんて、そんな事になったら、嫉妬でおかしくなりそうだ…」
「…心配しなくても、こんな格好で外なんか出歩かないぞ…」
「…それじゃ…いまの四宮は、僕の…僕だけの四宮なんだよね…?」

僕だけの四宮。

 たわいもない独占欲だとわかってはいるが、それでも自分を求める言葉を耳元で囁かれて、ぞわりと熱を感じる。
(…なんだってコイツは、こんなにも殺し文句が巧いんだ…)
「…心配しなくても…俺は、全部おまえのものだよ…」

 四宮の熱を帯びた吐息混じりの言葉に、鴻鳥は微笑を漏らした。そして口紅の色が移るのもかまわずに、四宮に口づけ、四宮も鴻鳥のすべてを受け入れようと彼の背に手を回した。




2016.10.29 UP。

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  • 「Blu-ray発売に寄せて」をアップ。
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