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聴きたかった声も

絵本を持ってくるのを忘れた事に気づき…それから、あの病室にはもうあの子はいないのだと四宮は思い出した。
もう遅い時間のため、見舞いに訪れる者も看護師も誰もいない、無人と思える廊下に四宮は一人佇む。
この5年間、この廊下をどれくらい歩いただろうか。
この5年間、あの日の夢を何度見ただろうか。
あの日から繰り返し見る夢の中で聞くのは、緊迫した医療スタッフたちの声と、妻を喪い、四宮を責める男の声。

「…いしで たたくと、やっと、われました。
ぐりは、いそいで たまごを ぼーるへ ながしこむと…」

規則正しい機械音が小さく響く病室。ゆっくりと絵本を読む四宮の声が、照明の届かぬ暗闇へと消えていく。
自分の声が…自分の言葉が、目覚めぬこの子のどこかに届いて欲しいと願う。医師としての知識では、それはありえない事だと理解しつつも。

(…夢の中でさえ…あの子の声を聴いた事がなかったな…)
あの子の声を聴きたかった。
物語の続きをせがむ声。笑った声。拗ねる声。たとえ四宮を責める声であってもよかった。
(…もう勤務時間も終わりだ…ここで突っ立っていても仕方がない…)
いま来た廊下を戻ろうと四宮が振り向いた時、見慣れた後ろ姿が廊下の曲がり角に消えていくのが見えた。
(…おい、サクラ…)
視界がぼやける。涙が溢れそうになるのを、懸命にこらえた。
あの子の部屋に向かう時、何度も鴻鳥の視線に見送られた。あの子の命が終わった時も

「医者が……治せない患者に毎日会いに行くのは、やっぱり苦しい」
屋上で鴻鳥は四宮にそう言ったが、それでも四宮は……。

(…おまえがいてくれたから…俺は、あの子のところにいけたのだと思う…)

聴けなかった声も。
見守られた記憶も。
自分の中で、静かに重ねていくから。

(…食事に誘ったら…あいつ、来るかな…?)

どのように誘おうかと考えながら、四宮はナースステーションに足を向けた。


2015.12.18 UP。

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