第2オペ室
白石幸之助が書いた小説やイラストを置いてあります。コウノドリ・ブラックジャックなど。
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春にその名を呼べば
廊下の窓からは、芽吹き始めた街路樹が見えた。
「…そろそろ桜も咲きますね…」
街路樹から視線を戻した赤西が独り言のようにつぶやく。花の名前を口にしてから、赤西は自分の前を歩く指導医の名前を思い出した。
鴻鳥サクラ。
この時期、誰もが咲くのを待ちこがれる花と同じ名前。
「この季節、鴻鳥先生はあちこちで名前を呼ばれているような気がしませんか?」
「この年齢になると、さすがに慣れたっていうか、僕を呼んでいるわけじゃないって思えるようになったけどね」
名前絡みという、かなりプライベートに踏み込んだ話題だったが、鴻鳥は気を悪くする事もなく応じた。先を歩く鴻鳥の背中を見ながら、たわいないと思える願いが赤西の頭に浮かぶ。
いつも鴻鳥を名前で呼ぶあの人のように。
いつか鴻鳥の隣に立てるくらいの産科医になれるように。
「…サクラ…先生」
願いはいつしか言葉になる。赤西は鴻鳥の名前を無意識につぶやいていた。
気づかれないと思ったが、鴻鳥にはしっかり聞こえていたらしい。前を歩く鴻鳥が立ち止まって振り向いた。
「…なんだい、ゴロー先生?」
その顔は穏やかに笑っていて、嫌みな感じはしない。
「す、すみません! 生意気に鴻鳥先生を名前で呼んだりして!」
「しっかり頑張って、僕を呼び捨て出来るくらいの産科医になってよ。ゴロー先生」
いつもと同じように穏やかに、しかし高すぎる要求をさりげなく鴻鳥は言った。
「…まだ『ゴロー君』呼びでお願いします、鴻鳥先生…」
弱音、というよりは、現状認識を新たにする赤西だった。
「鴻鳥先生は?」
出勤してきた小松が、ナースステーションにいた赤西に聞いた。
「ああ、サクラ先生なら…」
赤西の言葉が終わらないうちに、何かが盛大に落ちる音がした。四宮が手にしていたバインダーをまとめて落としたらしい。赤西は拾うのを手伝いたかったが、目を輝かせた小松に捕まった。
「サクラ先生? なぁにゴローちゃん、名前で呼ぶなんて鴻鳥先生とずいぶん親密じゃない?」
違いますから、と赤西は否定するが小松は一人盛り上がっている。そんな二人を無視して四宮はバインダーを拾い上げ、規定の場所に戻してからナースステーションを出ていった。
「ねえゴローくん、鴻鳥先生と同期の四宮先生を『ハルキ先生』って呼べる?」
四宮が出て行ったのを確認してからなのか、小松がとんでもない質問をしてきた。
自分が「ハルキ先生」と呼びかけた時の四宮を想像しただけで……恐ろしくてそんな事はできませんと、思い切り首を横に振って答えた。
四宮が当直室に入ると、いま起きたのか鴻鳥はベッドに身体を起こしていた。
「何か変わった事でもあったのか、四宮?」
鴻鳥の問いには答えずに、四宮は鴻鳥の隣に腰を下ろし、鴻鳥に寄りかかる。
「四宮、どうした?」
「…サクラ…」
病院内での仕事上の声ではなく、甘えるような四宮の声。
「…四宮?」
「……」
四宮は鴻鳥の肩に頭を預け、俯いたまま答えない。
「…ハルキ?」
「…サクラの事をサクラ、って呼べるの…俺だけだと思って…いいか?」
四宮らしくない質問だったが、鴻鳥は律儀に答えた。
「えーと…ケイコママは僕の事をサクラ、って呼んでいる」
「…あの人は…お前の身内だし…」
「それから、施設の子供達も僕をサクラ、って呼んでいる」
「…彼らも…お前の身内だと思っている…」
「いきなりどうした、ハルキ?」
「……」
四宮は答えない。何も言わない四宮の肩に鴻鳥が腕を回して抱き寄せる。意を決したのか、ためらいがちに四宮が答えた。
「…ゴローがお前の事『サクラ先生』って呼んでいた…」
「あー…」
先日の赤西とのやりとりを思い出して、鴻鳥が苦笑する。
「焼き餅妬いてくれたんだ、ハルキ?」
「……」
返事はないが、プライドの高い四宮が反論しないのは、正解だと思っていいだろう。
「桜の時期だし、名前が同じだからどうしても話題になりやすいからさ。でも、さ…」
鴻鳥が抱き寄せて四宮に口づける。四宮も鴻鳥の背に手を回し、鴻鳥を受け入れつつ舌を絡ませる。
「…ん…」
漏れる吐息が、熱を帯びる。潤んだ四宮の目を鴻鳥がのぞき込む。
「…僕がこんな事するの…お前だけだから…お前だって同じだろ?」
四宮が鴻鳥から視線を反らす。熱を帯びたその目を鴻鳥に見られたくないからか。
「…サクラ…」
「うん?」
「…責任とれ…この馬鹿…」
四宮はいま、昂ぶった身体の熱をどうにかして静めようとしているのか。
「…えーと…ハルキ、今晩僕の家に来る?」
今日は四宮はオンコールだが、運が良ければ鴻鳥の家に行くくらいなら出来るだろう。
「それまで我慢出来るか?」
笑いながら言うと、四宮が軽く鴻鳥の頬を叩いた。
2016.3.22 UP。
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おしらせ
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「Blu-ray発売に寄せて」をアップ。
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「桜の花の下で、君の名を呼べば」をアップ。
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