第2オペ室
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辰巳氏の9月6日の憂鬱
その黒衣が翻る様を、誰もが振り返って見た。
その男の名を知らぬ者は、病院という場には似つかわしくないであろう黒衣と、端整な顔に走る大きな傷、漆黒の髪と色彩のない白髪が見せる不思議なコントラストという、異形の容貌に目を奪われた。
その男…無免許医ブラックジャックの名を知る者は、彼がこの病院に現れた意味をあれこれ推測し、さまざまな思惑を含めた視線を彼に向けた。
それらを意に介する事も無く彼は歩を進め、やがてある病室の前で立ち止まった。そこが彼の目指す場所であったらしい。彼に気取られぬようにと周囲が息を殺して見守るなか、彼は静かに扉を開けて室内に入って行った。
「やあ、ブラックジャック」
病室に入ってきたブラックジャックに辰巳が声をかける。今は医師としてではなく入院中の患者としてここにいるので、彼の見舞いは純粋に嬉しかった。
「虫垂炎だって?」
ブラックジャックがベッドのそばの椅子に座った。患者や同僚の医師が気を遣う事のないようにと病室は個室にしたので、無免許医であるブラックジャックと辰巳がこの部屋で親しげに話していても、気にとめる者は誰もいない。
「大丈夫だろうと思ってしばらく放っておいちゃってさ。でもたいした事はないから。あさって退院だよ」
「術後の経過は?」
「まあ順調、かな?」
手術から術後の経過まで、どんな医師が見ても満足のいくものだったろう。
担当医は辰巳もよく知る同僚だが、執刀医として手術の技術や主治医として患者への気配りも十分なものだったし(同僚という気安さから、たまに軽口が混ざったが)、また術後の経過も問題なかった。
「せっかく君の誕生日なのに、お祝い出来なくてごめん」
辰巳もこの日のためにあれこれ予定を立てておいたのに、自分の思いがけない入院で予定が流れてしまったのが残念だった。
「お前さんの退院祝いと兼ねればいいさ。それより…」
彼の視線が辰巳の右腹部に移る。その視線が妙に熱を帯びていると思うのは、辰巳の気のせいだろうか。
「…手術創を見せてもらっても…いいか?」
「あ…うん」
辰巳はパジャマの上着の裾を上げて、ブラックジャックに見せた。彼の指が手術創を注意深くなぞる。
医師が他の医師の執刀した手術創を見るという、ただそれだけの事だから、と自分に言い聞かせるが、それでも互いの肌を重ねた夜の事を思い出し、身体の中心が火照るのを抑えられない。しかしブラックジャックは、辰巳のそんな動揺にも気付かないようだ。
「…綺麗に縫ってあるな…だが…」
「…何か気になる事でも?」
「…俺なら…傷も残さずに手術出来たぞ…」
…虫垂炎の簡単な手術とはいえ、そのような言葉を口に出来るのはこの天才外科医だけだろう。
「なあ辰巳、せっかくだから再手術する予定とか無いか? たとえば今月中あたりに」
「…はい?」
虫垂炎手術からの回復を待つだけの自分には、手術をしなければならない他の病気も怪我も無い。しかも何故、その再手術が彼の誕生月でもある「今月中」なのか。固まって二の句が継げないでいる辰巳にようやく気付いたらしいブラックジャックは慌てて
「冗談だよ、冗談」
と笑って済ませようとするが、先ほど見せた彼の真剣な表情が冗談だとは辰巳には思えない。
(…そういえば…)
辰巳は以前、ブラックジャックから聞いた話をふと思い出した。
犯罪世界で生きるようになった幼馴染から依頼され、指紋を変えるために幼馴染の指を手術した事を。 そしてその彼の指の骨に、「友情を記念して」密かに自分のサインをした事を。
そのサインが決定的な証拠となって、幼馴染の逮捕に至った経緯があった事を。
彼がした行為は、裏社会の患者と関わる際、危害を加えられた場合に備えての保険と言えなくもないが、辰巳にはそれが彼の用心深さを表しているだけとは思えなかった。
神業ともいえる彼の外科技術で、相手の身体に自分の証を相手自身にすら気付かれないように刻み付ける。
それは、彼なりの相手に対する執着、ではないだろうか…?
常人に理解出来るとは到底思えないが、辰巳はその考えをまったくの荒唐無稽だと済ませられない。
「…どうした、辰巳?」
無言のままでいる辰巳に、ブラックジャックがおだやかに笑いかける。
漆黒の髪と、色彩のない白髪。顔に大きく走る傷。それでも彼は美しいと辰巳は思う。その歪んでいるかもしれない執着も含めて。
「いつか僕が手術を受ける場合は、その時は世界的に有名なブラックジャック先生にお願いしようか」
先ほど浮かんだ考えを、辰巳は意識から消し去った。
☆ ☆ ☆
あとがきとして
自分でも
「辰巳先生、それで本当にいいのか〜!」
と突っ込みながら書きました。
(最初にタイトルに「憂鬱」と入れたのに、ラストでは辰巳先生、別に憂鬱になっていないし)
病院に勤務なさっている医師の方が手術・入院した場合はこうなんじゃないかな? と素人が想像と妄想で書いていますので、もし間違った点があったとしたら拍手かメールフォームから突っ込みよろしくお願いします。
虫垂炎(私の時は「盲腸炎」と言われました)の手術も、いまは手術の跡はかなり小さいし、入院期間も短くて済む、というのをネットで調べて知ったのですが、今回は自分の手術創を見ながら書きました。
2012.09.06 UP。
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おしらせ
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「辰巳氏の優雅でシュールなコミックマーケットレポ」をアップ。
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「安楽死医、夏コミに来たる」をアップ。
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