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sweet-heart

 世界的に有名なブランドの、説明文を読むだけで美味しそうなチョコレート。
 リボンをかけられ、食べるのがちょっともったいなくなるくらいに綺麗なチョコレート。
 デパートの入り口を入ってすぐの場所では、ガラスケースに陳列されたさまざまな種類のチョコレートが、行き交う客たちの目を楽しませていた。
「なんかあーゆーのを見るとバレンタインが近いんだな〜、って思うよ」
 冬服の買い物に来た辰巳は、女子高生と思われる少女達で賑わうチョコレート売り場を見ながらつぶやいた。
「貰えるアテはもちろんあるんだろ、辰巳センセ?」
 いつもの黒コートを身に纏い、休日の買い物につきあってくれるブラックジャックはそんな辰巳を茶化した。
「貰えるけどねー、職場でのバレンタインなんて、人間関係を円滑にするための行事みたいなものだからね。お返しするのも大変なんだよ。どんなものがいいか、なぁんて、こっちはさっぱりわからないし」
 本来の意味(どの程度『本来』なのか、辰巳には見当もつかないが)でチョコレートを贈られたいのは、いま自分の横に立つ人からなのだが、しばらく前まで当人がバレンタインの意味を知らなかったらしいのと、世間が作り出した慣行に大人しく従うような性格ではないので、チョコは期待しないほうが無難だろう…とあれこれ考えていたら、信じられない言葉が耳に届いた。

 …俺もチョコレートやろうか?

「あ、あの、ぶ、ブラックジャック、いま何て…?」
「…いや…だから…俺もおまえさんに、チョコレートやろうか、って…」
 少々照れくさいのか、説明する彼の声は小さい。それでも恋する男が恋人のその言葉を聞き逃すはずがなかった。
「本当に? 君が、僕に、チョコくれるの?」
「職場でたくさんチョコをもらう辰巳先生には、俺からのチョコなんて物足りないかもしれませんがね」
「そんな事、絶対ない!」
 彼が自分にプレゼントしてくれるというのなら、チロルチョコだってありがたい! …と、辰巳は一人心の中で叫んでいた。
 辰巳のその日の帰りは遅くなる予定との事なので、プレゼントは辰巳の家に届くようにするから、とブラックジャックは約束した。



 その日。
 辰巳の足は、地面から0.5ミリほど浮いていたかもしれない。
 多少うかれていたものの、それでも致命的なミスをする事もなくその日の仕事を終え、辰巳は勤めている病院を後にした。



 自分の部屋に帰ると、扉には宅急便会社の不在者票が挟まれていた。
 一緒にはさまれていたメモによると、何時であろうと、再送の電話をすれば今日中に届けます、とあった。おそらくブラックジャックが多少強引な手段で配送会社に依頼したのだろう。依頼された運送会社の担当者には申し訳なく思いつつも今回だけはブラックジャックの気遣いに感謝し、伝票の番号に電話をかけた。



 届いた荷物は辰巳の想像していたよりもやや大きかった。箱を受け取り、室内に戻って箱を開けた辰巳は、その場に固まった。
「……心臓……?」
箱に収まっていたのは、今にも鼓動を始めそうな心臓だった。ただし、チョコレート製の。
(…大きさからいって成人のものだろーなー。外観の精巧さを考えると、やっぱり内側も本物を再現してあるんだろーなー…)
 彼のしかけたイタズラに怒るよりも、呆れるよりも、あの彼がチョコレートでこんな凝ったものを作る姿を想像して、辰巳はつい苦笑してしまった。精巧なチョコレート製の心臓を前に一人辰巳が笑っていると、携帯に電話が入った。発信者には彼の名前が表示されている。
「…辰巳です」
『辰巳か? チョコは受け取ってくれたか?』
 笑いを押し殺した声が携帯から聞こえる。いまどんな顔で電話をかけているのだろうか、と思いながら辰巳は黙って目の前のブラックジャック製のチョコを見た。その沈黙を電話の向こうの彼は誤解したらしい。
『……辰巳…怒ったか?』
 めったに聞けない、ブラックジャックのしおらしい声だ。
「怒っているんじゃないよ。ただね…」
『…ただ?』
「こんな手の込んだチョコ、食べるのがちょっともったいないな、って思ってさ」 『一応おまえさんに食べてもらうために作ったんだがな』
「そうだったね。じゃ、今度君がウチに来たときに、君に食べさせてもらおうかなー」
 半分どころか、99.9%は冗談だ。しかし受話器から聞こえてきたのは
『よし、待ってろ』
と、彼らしい思い切りの良い決断の声だった。
「あ、あの、ブラックジャック…?」
 通話が切れたとたん、部屋のインターフォンが鳴った。嫌な予感をさせながらドアを開けると、そこには思った通り彼が立っていた。
「人に食べさせてもらえないとチョコも食べられないなんて、おまえさんもずいぶんわがままなんだな」
 彼は清々しく笑っている。先ほどもこんな顔で辰巳に電話をかけていたのだろう。その顔を見て、辰巳もつられて笑う。
「…わがままついでに、君も食べてもいいでしょうか?」
彼は辰巳の背に腕をまわし、辰巳にささやいた。
「…俺は、そのつもりで来たよ…」
 辰巳もまた、彼の背に腕を回した。



2006.02.12 UP。

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