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四季 冬

太郎を眠らせ 太郎の屋根に雪ふりつむ
次郎を眠らせ 次郎の屋根に雪ふりつむ

 夜の闇は深く、はるか遠くまで続く並木道と、空から降りしきる雪の他は、なにも見えなかった。
「…この道…春や夏や秋には虫や鳥がたくさんいたのに、すっかりいなくなってしまったね…」
 つもり始めた雪を踏みしめながら、隣を歩く辰巳が独り言のようにつぶやいた。おそらく彼は、この道のさまざまな季節の風景に足を止める事が何度もあったのだろう。
「すべていなくなったわけじゃない。春を待ちながら眠っているやつだっているさ」  ブラックジャックもまた、独り言のように答えた。
「そうそう、君って見かけによらずロマンチストなんだからなぁ」
 辰巳の声は、少し笑いを含んでいる。今度はブラックジャックは答えなかった。  ---すべてを覆い隠すようして、静かに雪は降りしきる---
「…冬になれば、ある生き物は眠り、ある生き物は死を迎える…だが、お前のやっている事は、その生き物達を冬まで生かそうとするのに似ているのかもしれんぞ…」
 雪まじりの風が、長い髪をかき乱す。闇の中から彼を見つめるキリコの顔は、夜を渡るいにしえの神にも似て。
「なぜ、瞑らせてやらない? なぜ、その苦痛から解放してやらない? お前自身、そのまま瞑りたいと 思った事はないのか? その苦痛を終わらせたいと思った事はないのか?」
「お前さんのその理屈は、私には通用しないぜ」
「そうかな?」
 強い風が吹いた。無数の雪が激しく舞い上がる。彼は思わず腕で顔をかばった。
 やがて風は止んだ。彼は顔を上げた。
 あたりはただ、降りしきる雪ばかり。
「キリコ? どこだ?」
 黒ずくめの彼を覆いつくし、消し去ろうとするかのように、無数の白い雪が降りしきる。
「…キリコ…」
 先刻まではあまり感じなかった寒さと、静けさと、そして言いようのない虚無感が、重く彼にのしかかる。
 ---このまま瞑りたいと思った事はないのか?---
 ---お前のその理屈は、私には通用しないぜ---
 ---そうかな?---
「…そうだとも…」
 小さく彼はつぶやいた。自分自身を力づけるかのように。
「先生」
 幼い少女の声。彼よりずっと背の低いピノコが、彼をしっかりと見つめている。
「先生、いつまでもこんな所にいたやらめれちょ。風邪をひいたや、ろうすゆのよさ」
 思わず彼は膝をついて、両手でピノコの顔を包んだ。ピノコは確かにそこにいた。
「ほや、先生の手、こんなに冷たくなっていゆやない」
 ピノコの手が、彼の手に触れた。その小さな手は彼の手を包みこむ事はできなかったけれども、ピノコの温もりは、冷たく感覚を失いかけた彼の両手に確かに伝わってくる。
「早く帰ろうな。二人とも風邪をひかないうちに」
「うん。れないと…えっ?!」
 彼は立ち上がった。ピノコを抱き上げて。
「こうした方が、二人ともあったかいだろう?」
「うん」
 ピノコは嬉しそうに彼にもたれかかっている。
 ---お前のその理屈は、私には通用しないぜ---
 ---そうかな?---
「…そうだとも…」
「なあに? 先生?」
 コートの中から、ピノコが彼を見つめている。
「いやピノコはあったかいな」
「ピノコが先生を好きらから。ピノコが先生を好きなぶんらけ、ピノコはあったかいんらよ。そして先生もね、とーってもあったかいのよさ」
「私がピノコを好きだから、かい?」
「そうれしょ? 先生?」
「…そうだよ…」
 夜の闇の中、静かに雪は降りしきる。闇はまだ深いけれども、もう彼は迷う事はないだろう。



2004.05.05 UP。

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