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アリの道

道は遠くまで続いていた。

視線を行く先に向けると、夜の闇の中で灯るライトがゆるやかに坂を下るのが見える。遠くには街の灯り。これまで歩いてきた道を振り返ると、道はすでに山の夜の闇に飲まれている。
日が落ちる前に街に着くのは、やはり無理だったようだ。
黒男は道の脇に生えている大木の根本に座り込んだ。まだ思うとおりに動かせない身体は、一日歩き通した疲労に悲鳴をあげた。
(…前にここを通ったときは、車であっという間に通り過ぎたから…歩くとこんなに時間がかかるとは思わなかったな…)
大きな木にもたれかかった黒男は、目を閉じて以前ここを通った時のことを思い出していた。
父親の運転する車に乗り、家族で祖母の家まで遊びに行った。郊外の瀟洒な家に住む祖母はいつでも黒男達を優しく出迎えてくれ、祖母の家を去るときはまた来るからね、という言葉を黒男は何度も口にした。祖母も父親も母親も、いつも黒男のその言葉を笑って聞いていた。
その祖母も、すでに亡い。父親も、母親も、もう黒男のそばにはいない。
「………………」
黒男は視線を空へと向けた。黒男の住む街では見られない見事な星空がかすかにぼやける。
祖母の家に遊びに行っていた頃からそれほど年月は経っていないのに、その間にどれだけのものが彼から失われただろう。
夏とはいえど、肌寒い山の夜の寒さに身体を震わせた黒男は、自分で自分の肩を抱きしめた。そのとき胸ポケットの中から、紙のこすれあう音が聞こえた。
(…本間先生が渡してくれた…連絡先…)
行く先々でもし何かあった場合、この人たちに連絡すればなんとかしてくれるように頼んでおくから、と言って本間医師は連絡先のメモを黒男に渡した。おそらくいまこの時間でも、本間自身も黒男からの連絡があればすぐに動けるようにしてあるだろう。

あの日から多くのものが自分から失われたけれど。

黒男は軽く自分の頬に---色の違う肌に覆われた頬に触れた。自分の命がある限り決して失われない温かさが伝わってくる。

それでも自分のそばに留まるものも、確かにあるのだから。

「…僕…必ずこのハイキングを歩き通すから…必ず……身体を動かせるようになるから…」

まだ身体の不自由な少年のつぶやきを聞く者は誰もいない。
しかし星空を見上げる彼の目は、もう滲んではいなかった。



2006.09.28 UP。

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