第2オペ室
白石幸之助が書いた小説やイラストを置いてあります。コウノドリ・ブラックジャックなど。
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月の咲く夜に-黒男
ずっと探し続けた友人は、彼の目の前から夜の海へと消えた。
さまざまな事を話したかった。
さまざまな事を聞きたかった。
ずっと伝えたかった言葉を、友人に伝える事が出来なかった。
釈放されたブラックジャックがホテルに戻ってきたのは、夜もかなり遅い時間だった。
タカシは反対派グループの重要人物としてずっと警察に追われていたらしい。その彼の手がかりを知る人間としてブラックジャックに対する尋問はしつこかったが、タカシとの関係は「デモ隊と警察との衝突の際、警察からかばってもらっただけの関係」で通した。刑事がそれ以上の事を聞き出そうとしても、自分がこの国にとって無関係の外国人である事や、デモの際、旅行客である自分にこの国の警察が暴行をくわえかけた事を、日本大使館に知らせるつもりだという事をほのめかせると、結局警察は証拠不十分で彼を釈放した。
部屋に入り、灯りをつけようとスイッチに手をのばした時、背後から誰かに抱きすくめられた。
「…灯りをつけるのは、すこしだけ待ってくれ、クロちゃん…警察がまだこの部屋を見張っている…」
その人から呼びかけられる事はもう決してないと思っていた、懐かしい呼び方。
「…タカシ!」
自分に回された腕をふりほどき、ブラックジャック---黒男は振り返った。
タカシはすぐ目の前に立っていた。懐かしさと後悔が入り交じった表情をうかべながら。
「…迷惑をかけて、すまなかった…」
「君は俺に電話をかけた時、自分は警察に追われていると忠告してくれた。それでも会いたいか、と俺に聞いたな」
「…クロちゃんを巻き込みたくなかったんだ」
「それでも俺は、君に会いたかった」
長いあいだ探し続けた。もう会えないかもしれない、と思った事もある。それでもあきらめる事だけは出来なかった。
「…傷を…手術の痕を、見せてくれないか、タカシ?」
あの時、何もかも失った自分に、タカシが見返りを求めずに与えてくれた証を見たかった。タカシは黒男の願いに問い返す事もなく上着を脱いだ。
月明かりが差し込む部屋の中、タカシは上半身裸になり、黒男に胸の傷を見せた。
左の胸---心臓の近くにある、ひきつれたような傷。傷はもうだいぶ薄くなっている。黒男はタカシの傷を指でなぞった。触れた手から、タカシの鼓動が伝わってくる。
「…ここから…俺にくれたんだな…あの時…」
満たされた気持ちで、彼はつぶやいた。女が男から与えられた贈り物を見る時も、こんな感情を持つのだろうか。
タカシの手が、黒男の顔に---色の異なる皮膚に触れた。
「…ありがとう。僕の事を覚えていてくれて。ずっと僕の皮膚をここにつけてくれて…嬉しかったよ、クロちゃん…」
「…タカシ…」
月明かりの中、二人の視線がからみあう。
「…だから、もういい…充分なんだ」
「…え?」
言われた言葉の意味が、黒男には理解出来なかった。
「もうその皮膚を取り替えてもいい。その色の違う皮膚のせいで、今までいろんな事があっただろ、クロちゃん?」
「…そんな事、大した事じゃない!」
この皮膚について、さまざまな事を言われてきた事は確かだ。言いたい人間には言わせておいた。何も知らない他人がこの皮膚に関して言う言葉など、黒男にとっては何の意味もなかった。
「今なら、君の生まれつきの肌の色に合った皮膚を都合できるはずだ」
「タカシ!」
黒男は向き合ったタカシの肩をつかんだ。
「あの時、君だけが俺に皮膚をくれた! すべてを失った俺に、何の見返りを求めずに! あの時の君の気持ちを、いまの俺に踏みにじれと言うのか、タカシ!」
「…………」
激昂した黒男を前にしたタカシは泣き笑いのような表情をし---それから黒男を力強く抱きしめた。
「…君の事をいろいろ言う人がいるけれど…君のそんなところは、あの頃とすこしも変わっていないね…」
「……タカシ…」
タカシの肌の熱さが伝わってくる。いつまでもその熱さを感じていたかった。しかしタカシが自分に言った言葉---自分のあげた皮膚を取り替えてもいい、という言葉---は、去っていく者が、残される者に託す最後の言葉ではないだろうか。
「…クロちゃん…本当に…ありがとう…」
タカシは抱きしめた黒男に口づけた。彼は拒むことなくその行為を受け入れた。
「…会えて、嬉しかった…君がいい人生を送る事を祈ってるよ…さようなら」
タカシは身体を離し、部屋から出ていった。扉が静かに閉められた後も、黒男はその場に立ちつくした。
彼の中で、タカシを追いかけたい気持ちと、追いかけられない気持ちがせめぎ合う。
「……タカシ…」
一人残された部屋で、黒男---ブラックジャックはもう一度タカシの名前をつぶやいた。
もう二度とその人に呼びかける事のない名前を。
2007.06.07 UP。
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