まだまとまっていなかろーとも、気にせずアップしてみる。
タイトルとして
「おやすみ あの頃 あの場所 あの歌」
と思いついて以来、どーにかしてなにかの歌とからめたかったのですが、足りない知識で思いついたのが「All of me」。
むかぁし「RAMPO」という映画を観た時に、阿部寛がドレス姿で歌っていたのをみて衝撃を受けたので、足りない白石の頭でも覚えていました。
いささか覚えた動機が不純でも、それでも良しとする。
☆ ☆ ☆
鴻鳥は誰とでも、それなりに親しくしているように見える。
しかし親しくなれたと思っても、見えない壁のようにそれ以上は踏み込めない領域があるのを、周囲の友人はなんとなく感じていた。そんな鴻鳥から、四宮は彼がアルバイトとして入っている店に、
「…ピアノのライブがあるから、来てみないか?」
と誘われた。
そこには以前にも誘われて何度か行った事がある。雑居ビル2階の音楽バー。落ち着いた雰囲気の良い店なのに、客が入っているのを四宮は見たことがない。
「…客がいないのに、よく営業を続けられるな…」
初めて店に行った帰り道、四宮は鴻鳥の前でだけ正直な感想をもらすと、
「僕なんて客がいないのによくこの店つぶれませんね、ってしょっちゅう沖田さんに言っているよ〜」
朗らかに笑いながら、かなり失礼な事を言ってのけた。
…いつでも穏やかな態度の鴻鳥だが、こう見えて案外と図太いのかもしれない、と四宮はひそかに友人の性格について思う。
鴻鳥がここでバイトをしているのを知っているのは、おそらく四宮だけだろう。それを思うとき、胸の奥で感じるくすぐったさは…嬉しい、という気持ちなのだろうか。
待ち合わせの時間に四宮は店に入る。せっかくのピアノライブだというのに、店には今日も客がいない。マスターの沖田に軽く挨拶した後、四宮はカウンターの席に座る。
「…謎の新鋭のジャズピアニスト、ベイビーのプライベートライブへようこそ」
背後から鴻鳥の声。振り向くと鴻鳥が立っていた…鴻鳥のはず、だった。
黒いスーツに身を包み、肩までの長さの淡い色彩の髪が、店内の控えめな照明に淡く光る。赤いルージュで彩られた唇が、微笑を形作る…四宮が知らない男だった。
「…自分で『謎の』、とか言うな。だいたい謎なのは、そんな髪型のカツラを選んだサクラのセンスだろーが」
精一杯の強がりで四宮が茶化すと、
「ええ〜四宮、ひどいな〜」
…ジャズピアニスト・ベイビーとしての謎めいた雰囲気は消え、四宮がよく知っている、いつもの鴻鳥が困り顔で笑う。
「ま、奴の演奏を聞いてやってくれよ」
カウンターごしに沖田が笑う。
「奴(やっこ)さん、何日も前から選曲に悩んでいたからなー」
「…沖田さん、それは言わないで…」
先ほどまでの謎めいた雰囲気はどこへやら、鴻鳥はなんとも情けない顔になった。
「…なんであんな変なカツラなんかかぶるんだか…」
ピアノへと移動する鴻鳥には聞こえないように四宮がつぶやくと
「俺がアドバイスしたんだがね」
沖田が答える。
「真面目な医学生がジャズピアニストとしてライブをやる、なんて言ったらどこで問題になるかわからないしな。正体不明なピアニスト、だったらいくらでもごまかせる」
鴻鳥が奨学金で大学に通っているのは四宮も知っている。アルバイトとして芸能活動をしていると知られたら、どこで何を言われるかわからない。それも考えた上での沖田のアドバイスなのだろう。
鴻鳥がピアノの前に座る。一瞬の静寂。そして軽やかなピアノの音色が、四宮と沖田だけが聴衆の店内に広がっていく。
時折鴻鳥の指がリズムを取るのは知っていた。
鴻鳥の演奏を実際に聞くのはこれが初めてだった。
軽快なリズム。以前鴻鳥と一緒にいるときに何かのBGMとして流れ、その時鴻鳥からジャズで有名な曲だと説明してくれた事があった。
All of me – why not take all of me ?
私のすべてを,どうして私のすべてを奪ってくれないの?
…まるでオメガの曲だ、と四宮はピアノの旋律を聞きながら思う。
発情期で自分を失い、アルファと番を結ぶのを待ちわびるオメガの曲。
(…発情期で自分を失っている状態で、自分のことを誰かに決められるのはまっぴらだ…)
鴻鳥は四宮の事をベータだと思っているだろう。四宮は自分がオメガである事や、父親がアルファである事をまだ鴻鳥に打ち明けていない。
鴻鳥ならオメガだからと相手を蔑む事は決してないだろう。
それでも鴻鳥がアルファで自分がオメガである限り、オメガがアルファと結ぶ番(つがい)が頭をよぎる。
アルファに身体を開き、うなじを咬まれる。
そのアルファの所有物になったという、消せない烙印。
鴻鳥がアルファでなくベータだったら、自分が番をむすぶ事について、こんなに悩まなかっただろう。
演奏終了後。
「…サクラ…おまえはそうやって、ライブでピアノを弾いているのか?」
「まだ無名も無名だけどねー」
四宮も趣味でギターを弾くが、鴻鳥のピアノは趣味の域を明らかに越えていた。
歌詞は四宮にとっては面白くなかったが、鴻鳥の演奏には文句を付けようがない。
「…それでもいつか、さ…たくさんの人を、僕のピアノで湧かせたいんだ…」
「…産科医になるのは?」
出会ったとき、産科医になるために、医大に入学したのだと言っていた。
鴻鳥にピアニストを目指されたら…四宮は同じ道にはきっと進めない。
「僕はね、四宮。産科医にもピアニストにもなるつもりなんだ」
鴻鳥ははっきりと言い切った。その目標を、無理な希望だと誰でも笑うだろう。
しかし四宮は、
「…おまえなら、なれるよ」
鴻鳥の言葉を…夢を否定したくなかった。
アルファとしての才能もあるかもしれない。しかしそれ以上に、鴻鳥が産科医を目指している事に真剣に向き合っているのを四宮は知っていた。
「…ケイコママ以外に、この事を打ち明けた事はなかったな」
四宮の言葉に、鴻鳥は照れくさそうに言う。
ケイコママ。
以前鴻鳥から聞いた、児童養護施設で育った鴻鳥の育ての親。
鴻鳥の生みの親は、彼を妊娠していた時期に子宮頸がんが見つかったが、子供を産むのを優先してがんの治療を遅らせたために亡くなったという。
母親に身寄りがなかったため、鴻鳥は施設で育ち、そして自分の力だけで医大に入学した。
鴻鳥がアルファなら、母親はオメガだ。
オメガの発情期へのコントロールは抑制剤や緊急避妊薬などで手厚く支援されているので、オメガが宿った命を望まなければ、出産に至る事はない。
自分は、望まれて産まれてきた。
鴻鳥はそう信じている。
四宮も、そう信じた。