読書感想文のメモとして。
図書館から借りてきた
「ソヴィエト旅行記」
アンドレ・ジッド 國分俊宏訳
光文社古典新訳文庫
を読み終えました。
「ソヴィエト」という、すでに歴史上の国の名前に興味を惹かれて借りたのですが、そもそも不勉強な白石はジッドの著作(「狭き門」など)を読んでいませんでした。
1936年の6月から8月にかけてソヴィエト作家連盟の招待を受けてソヴィエトを旅行したジッドですが、そこはジッドが理想としていた国ではなく、資本主義も貧富の差も新しい形である国でした…という内容でした。
ソヴィエト崩壊を歴史上の出来事として知っている人間から見れば、ソヴィエトという国に対してのジッドの評価は理解も納得もできるのですが、この本が発行された当時はそうではなかったらしいです。
でも前世紀の異国のことを書いているはずなのに、現代性というか、どっかの新聞につい最近書かれていてもおかしくないような事が書いてあったり。
指導者たちはこの国家という機械の操縦が人民の手から離れてしまっていて、人民とそれを代表とするとみなされる者たちとの間で、実際には何のつながりもなくなっていることを、完璧に理解している。しかしそれこそが指導者たちの望みなのである。だからこそ、逆にこのつながりがかつてないほど緊密であると信じ込ませる事が重要なのだ。
(P218)
ジッドが見たソヴィエトと現在私たちが住んでいる国とは違うのでしょうが、何となく似ているかも? と思った文章。
(異論は認めます)
他にも書きたい事があるので、また後日。