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2008年03月22日
読書感想.03.22
以下先日図書館から借りた本の感想。
興味のある方だけどうぞ。
黒男さんがらみで吸血鬼っぽいパラレルを書きたい、とある日思ったものの、よく考えたら私は元となった「吸血鬼ドラキュラ」や「吸血鬼カーミラ」って読んだ事がなかったんですよね。
吸血鬼に関する伝承や文学や絵画作品をまとめた種村季弘氏の「吸血鬼幻想」や、日本吸血鬼小説の大作「屍鬼」は読んでいましたから未読でもなんとかなるだろうとは思いましたが、この機会に読んでみる事にしました。
「吸血鬼ドラキュラ」
この作品によって吸血鬼=ドラキュラのイメージが広がったといってもいいほど有名な作品なのですが、小説中のドラキュラ伯は私たちが「吸血鬼」と聞いてイメージする吸血鬼とは微妙に違います。
吸血鬼に関する作品が大量に発表され、各人が独自の「吸血鬼」のイメージを作り上げた現在では、違和感を感じるのもある意味仕方のない事かもしれません。
現在吸血鬼が登場する小説を執筆中の作家さんのエッセイにもありましたが、「吸血鬼ドラキュラ」では、ドラキュラ伯ご本人が生身の客人のベッドメイキングをしたり料理をしているシーンにはちょっくらのけぞりました。
(作中に姫君の亡霊だかなんだかわからないけど、女性3人がちゃんと出たのだから、老人、しかも一城の主にやらせるよりもあんたらがやらんか〜い! と思ったり。もしかしてあれは「ギャップ萌え」を狙ったのかもしれませんが)
作中、ヴァン・ヘルシング教授がドラキュラ伯を小児的思考から抜け出せない人物だのと評するシーンがありましたが、ちょっと不幸な事に白石は篠田真由美さんの「ドラキュラ公」を先に読んでいたので、ヘルシング教授が言わんとするドラキュラ公と白石のドラキュラ公のイメージが違ってしまうんですよね。
誰が何と言おうとも、ドラキュラ公という人は鉄の意志と政治力を持って大国トルコと張り合ったすごい人物、としか想像できなかったり。
ブラム・ストーカーという人は、新しい技術などが出るとそれを作中に取り入れる事が多かった、と雑誌「夜想」のヴァンパイア特集にありましたが、21世紀に生きる人間の目から見ると「それやったら危ないから!」と突っ込みたくなる場合もあります。
たとえば吸血鬼に襲われた被害者に輸血するシーンでは、血液型を調べないで輸血しているので、いまの私たちからみると危険としか思えなかったり。
(ウィキペディアによると、血液型が発見されたのは1900-1910年。ドラキュラの発行は1897年)
しかし萌えというのはどこにあるかわからないもので、ドラキュラ伯がイギリスに家を購入する契約を結ぶためにかの人の元を訪れる人物の名前がジョナサンだったわけで。
…古城に監禁されて困る人が、某天才無免許医とそっくりさんになったわけで。
(作中ちゃんと結婚して子供も産まれたけど)
「吸血鬼カーミラ」
後書きによればブラム・ストーカーはこの小説を読んで「吸血鬼でいこう!」と思い立ったそうな。
小説が製作されたのが1871年、しかも借りた創元推理文庫の発行が1970年なので微妙に読みづらいです。
(しかし版を確認すると2003年に40版とありましたから、それだけ版を重ねて読まれている、という事ですね)
ただ読んでみると、主人公に対するカーミラの執着など、現在読んでも充分おもしろいところがあると思います。
カーミラの最期は、私達がイメージする吸血鬼の最期に近いかも?
世の中にたくさんある「吸血鬼に関する作品」の大本となったこれら二つの作品を読むと、小説家や映画監督などがそれぞれの「吸血鬼」のイメージをふくらませていったのだな、と思います。
(でもいまのところ一番好きなのは「屍鬼」だな)
投稿者 singer-cat : 2008年03月22日 23:55